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台風10号豪雨災害被災地訪問記〔8.最終回〕

我々が宿泊した羅賀荘も津波に襲われ4階の床まで波が達したホテルである。

津波災害活動中には、幾度も目にした羅賀荘は、三回まで全ての窓は型枠からもぎ取られ、柱部分だけがむきだしになった、廃屋同然の姿を晒していた。


しかし、6年の歳月が過ぎ、今はリアス海岸と太平洋を一望する立派な観光ホテルとして再興を遂げている。
無惨さばかりが目立つ岩泉の現状ではあるが、いつか必ず岩泉は復活するのだ。

被災地の一人一人がそれを信じて欲しいと願うばかりである。


最終日となる27日も岩泉町小本地区を訪問し、津波災害時からsong of heavenの支援、今度の豪雨災害でもブルーシートのサポートを引き受けてくれた三浦新聞店や、きのこ会社を訪ねた。

新聞屋さんでは「また、世話になりました」とタオル配付を手伝って戴いた礼を伝える副代表の圭奈を、抱き締めるように迎えたおばさんは「また、こんなにお世話になって…小本の人は皆ブルーシートに感謝してますよ」といつまでも手を握りしめていた。


かつて、キクラゲ専門の生産会社だった知り合いは、会社の全てを豪雨災害で失い、それでも先週から業種を変え、自動車部品の下請け業を立ち上げたのだと頑張っておられた。

被災時には地区の自主避難所を運営し物資をかき集めて配付したと語り、その中に大量のタオルがあったのを記憶されていた。

誰かが小本から運んできたものと記憶されていたので、それが我々の届けたタオルであったのに違いない。

「どこかで繋がっているんだなぁ」と互いを称えあったり、驚いたりもした。


最後の夜は「山とケ」の出演するライブがあった。
この活動報告の中に音楽ライブの話は違和感を感じる方もあるかもしれない。

実は同行した私もこのライブに参加するまではそう思っていた。
行ってみて驚いた。
岩泉の町から2キロほども山中に分け入った、辺りには一軒の家もない作業木屋である。

近隣の音楽好きの若者グループが次々に舞台に立ち、思いのたけを叫ぶ姿があった。誰も被災や災害について語るわけでもなく、それを歌いもしない。
だが、ここは今だ傷付いた被災地である。

そんな環境の中で音楽を奏でて、思いを吐き出す場所など在るはずがないのだ。

だからこそ、彼らは熊が出そうな山中の小屋で叫んでいる。
このライブに「山とケ」を誘ってくれたのはsong of heavenで音響を担当してくれたK氏である。

彼もまた、今回の台風災害の被災者であり、孤立した自分の集落で先頭にたって人を助け、小学校の校庭に『SOS』の文字を書いて自衛隊ヘリを誘導、怪我人、病人搬送を上手に誘導した、勇敢な男性だ。
このライブが、K氏の企画・主催したものだと知った時、その意味深さを思い知った。
復興の遅れている岩泉ではある。

先行きの不透明さも確かにある。
しかし、そんな中でこのライブが教えてくれたのは、岩泉の底力が動き出していると言うことだった。
「山とケ」がステージで叫んだ!

『生きて行こ〜ォ』今度はそこに居た全ての若者が腕を天に突き上げてシャウトした『生きてゆこーー!』

おわり

代表 角田四郎

author:ブルー・シート, category:最新情報, 21:36
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