- 大阪府高槻を中心とする地震について
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2018.07.07 Saturday
大阪北部地震 活動報告
まず初めに、この度2018年6月18日に起きた、大阪府での地震で、家の倒壊等で被害に遭われた被災地の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
私達「個人ボランティア活動家集団 ブルーシート」は、二人の副代表を置いています。
山口ひろとしと角田ケーナです。
二人はもう15年ほどの音楽活動続けています。
2010年からは二人でユニットを組んで「山とケ」の名称で活動もしています。
その「山とケ」が、ライブ活動の一環として2018年6月29日から7月3日にかけて、大阪ツアーを計画していました。
ライブは大阪府高槻市と大阪市内の二本。
そんなライブが2週間後に迫った6月18日午前7時58分、大阪府北部を中心とする震度6、マグニチュード6.1の地震が発生したのです。
詳細が明らかになると、震源は大阪府高槻市と発表され、この時点で高槻ライブの開催はあきらめなければならないと覚悟しました。 と同時に、ボランティアとして何か出来ることはないか?を考えていました。
そんな時、神戸の活動仲間である山縣さんから連絡が入ったのです。彼は阪神大震災の被災者でありながら、ボランティア活動に身を投じていて、私たちも参加している、神戸市東灘区での慰霊祭を、毎年実施しています。
彼の話はこうでした。
『家内の母親が被災して飲み水に困っていると連絡があった』
当事、関東での報道では「すでに水道はほぼ復旧し、今も断水している地域では、小学校等の拠点で自衛隊による支援活動が行われている」と報じられていました。
『水は解決しているのでは?』
自宅のテレビを見ながら私はそう聞きました。
そんな私の問いに、彼はやや苛立ちを見せながら
『老人や障害のある人、夫婦共働きの家庭は水をもらいに行く方法がないんです』と答えたのです。
そう、これは私達が被災地でいつも味わうジレンマなのです。
報道される「ほぼ復旧」や「ここは最大の被災地」などの中に、必ず、どこかに取り残されている、「被災弱者」や「隠れた被災地」というものがあるのです。
山縣さんからの電話を受け、やはり私たちブルー・シートは、そんな「少数の被災者」に向けて、私たちは動き出すことを決めました。
ごく、小さな活動とも言えるでしょうが、私達の活動は被災地全体や全ての被災者に向けての行動ではありません。
しかし、一人さえ救おうとしない活動は、すべてを救うことにはならない、とも思っています。
2リットルボトルの飲料水の公募を始めると、アッと言う間に手を上げる仲間がありました。
今回もまた「山とケ」の音楽仲間であり、岩手県田野畑村で我々が行っていた「ソングオブヘヴン」というイベントの出演者でもある、ミュージシャンたちが、力を発揮しました。
緊急性が高かったので、水の提供者から、山縣さんへ送ってもらい、山縣さん自ら、高槻まで自力で運搬し、配布してくれました。
その水を受け取った被災者が、また他の、水を必要とする被災者に配って…少しずつ分配され、数十件の要請に対応出来たという報告を貰いました。
結局「山とケ」の大阪での二本のライブも実施可能となり、ブルー・シート代表である私(角田四郎)と私の妻(角田瑞乃)、山口ひろとし、角田ケーナ両副代表と、その他女性ボランティアを含め、計5名で6月29日より数日間、大阪に滞在しました。
大阪では、高槻の現地視察も行いました。
報道ではほぼ復旧したと聞いていましたが、瓦屋根にブルーシートを被せただけの家が点在し、修理されないままの生活が続いていました。
道路や水道、ガスが復旧しても被災を体験した人々には深い心のキズは残ります。
さらに、滞在二日目の午前には高槻市の民家の中で震度3の余震を体験しました。
私たちが滞在中、ずっと案内をしてくれていた現地の若者は発しました。
「怖いっす!僕でもこの余震がめっちゃ怖いんです。冷や汗がジワーッとでます。今もです」
一人暮らしの高齢者や障害を持つ方などの心境はどんなものなのだろうか?
復旧とか復興とかいう言葉の中に「被災者個人や心の問題は含まれていない」ということを知って戴きたいです。
そして私達の活動は、それら被災者個人や被災者の心に向けたもので有りたいと思います。
それがどんなにちっぽけであるとしても…!
個人ボランティア集団ブルー・シート
代表 角田 四郎
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(写真)産経読んで見ニュース